肩の荷が下りた棚田歩遊 中国/龙脊梯田/longjititian 2005年 しっかり日銭を稼いだためか満足顔の旦那さんが、「大寨/dazhaiまであの娘らが連れて行ってくれるよ」といった感じで、女性達に目配せしながら言った。既に決まっていたのではと自分の事ながら意外な感じがしたが、まだ話がまとまったわけではないといったことを、彼女達が旦那さんに報告したということか。といことはここで彼女達とおさらばすれば、食事代はともかく、ここまでもこの先も金を払わずに済むことになる。さて。 道に迷うことはあまり心配していなかったが、ここでさよならというのも何だし・・・(甘い、ですかね)。もっと言えば女性達との山歩きに気持ちが傾いていたのが本音だった。とにかく料金だけははっきりさせないと。 30元ですか。相場というものが分からなかったので妥当なのかどうかは量りかねたが、この種の料金は自分が納得すればそれが妥当な額ということで承諾。腹も満たされたし、さて行きますか。 ![]() Zhonglu/China 2005 午後に入って陽射しが幾分強くなってきた。若い方の女性が、背負っていた膨らんだリュックから傘を取り出し差した。ずいぶん用意がいいなと思ったが、雨が降ることもあるだろうし、傘は必携なのだろうとこの時は思った。しかし会話が続かなかった。こちらが満足に中国語が出来ず、あちらも英語が出来ないとなれば当たり前のことだった。そうはいっても言葉が出来なくても旅は出来るし、言葉が分からないゆえに愉しめる旅があるのも事実で、まさに今がその時なのだが。自分の器量が試されるのはこういう時だなと思ったが、あれこれ考えても仕方がない。対話は成り行きに任せてと気持ちを切り替え、せっかくの景色を楽しむことに集中した。 何度か休憩しながら歩き続け、ようやく大寨の村に入ったようだ。といっても人家の集まりはほとんど見えず、広々とした棚田の中に、「大草原の小さな家」みたいなのが点在しているだけだった。そのうちの一つに行ってみると、椅子に腰掛けた一人の白人男性が前庭で寛いでいるのが目に入った。ホテル、ですか。 さすがに白人は目聡いな。ここなら出歩かなくとも朝から晩まで棚田の眺めに浸れるわけだ。もっともこの環境を事前に知っていたら、僕も直接ここに来たかは分からないなと思った。大自然は確かにいいが古村の香りがする平安/pinganの雰囲気もいいしなどと、またくだらんことを考え始めた。しかし次に来れることがあったら、やっぱりこっちかな。 ![]() Dazhai/China 2005 さて女性達。白人の姿に目の色を変えた彼女達の営業が、予想通り始まった(今にして思うと、そのためにこのホテルに来たような気がする)。身振り手振りを交えた猛然としたアピールにたじろいたその中年の白人男性が、苦笑いを浮かべながら助けを求めるように僕の方を見た。僕が簡単に説明すると納得したのか、男性は後ろを振り返り誰かの名前を呼んだ。 小柄な若い東洋人の女性が駆け寄ってきた。はじめタイなどでよく見かける中年白人と現地女性のパターンかと思い、中国でもそうなのかと意外な感じがしたが、これは下衆の勘繰りで、彼女は中国語が分からないようだった(話が逸れて恐縮だが、このタイでよく見かける白人男性とタイ女性のカップルについて、2007年にタイのノンカイという街のゲストハウスに泊まっていた時、同宿の好奇心旺盛な初老の日本人男性に促され訊いてみたことがある。白人の男の方は中年というほどでもなかったが、その宿には「まさにそんなカップル」が宿泊していた。そのタイ人女性の方が旅行に出られた嬉しさからか僕達にも愛想がよく、本音を言えば僕も興味がなくはなかったので遠慮がちに訊いてみると、一ヶ月で千ドル貰うとのことだった。あっさり答えてくれたので少し驚いたが、その後その額を巡って淋しい男二人で論じ合ったのは言うまでもない。いや、話が逸れすぎましたね)。 女性達が提示したのは20元。ひとり5元のはずではと思ったがカップルがあっさり納得したので、ここは余計なことは言わないことにした。さっそく彼女達が髪を解き始める。今朝とは違い歌はなかった。今朝とは違い多少は冷静に見ていた僕は、これも一種のストリップかなと思った。 ![]() Dazhai/China 2005 この大寨にも展望台がありそこを見終わった後、いよいよ山を降りることになった。何だかんだ言っても楽しかった。平安の女将さんが言ったように彼女達も麓に行けばバスに乗れると言って、途中まで見送ってくれることになった。降りる途中に再び景色の良い所があり、彼女達に促され最後の休憩となった。これで見納めか。三脚を立て何枚か撮ったが間もなく飽き、僕は茶色い道の上に腰を降ろした。もう写真はいいし眺めているほうがいい。何だか肩の荷が下りたような気がした。 ふと気がつくと、背後で何やらゴソゴソ音がした。振り返ると傘を地面に広げ、リュックから取り出した色とりどりの土産物を並べている彼女達の姿があった。この傘はこのためにもあったのか。気にも留めなかったが、膨らんだリュックには売り物が詰まっていたのだった。彼女達がいそいそと準備をしている売り場の向こう側に、バスが出る麓の村があった。往き手を塞ぐような形だった。ここは山の中の一本道。逃げ場はなかった。最後の山場、ですかね。 強行突破というのも馬鹿な話で、この手の馴染みの対処ということで、何か嵩張らない物に目を走らせた。見ると綺麗に刺繍された小袋が目に入ったので、年嵩の女性が10元というのを5元に値切って買った。すかさず若い方の女性が猛然と食ってかかってきた。彼女から買って私から買わないのは不公平だという感じで。言われてみればそうか。儲けは二人で分けるんだろうし問題ないと思わなくもなかったが、真面目な話僕にとっては気になる額でもなく、彼女からも似たような小袋を同じ値段で購入した。 「私達と来て良かったでしょう」といった感じで、若い方の女性が両手を左右に出し入れしながら、嬉しそうに言った。「あなた一人では枝道がいっぱいあって大変なのよ」ということだろう。確かに枝道は多かったが、一番太い道を選んで来れば多分との思いが過ぎったが、それは別として今日は彼女達からいろいろ学ばせてもらったのは事実。一緒に歩いたのは正解だった。 一人で山を降りる僕に向かって、彼女達が満面の笑顔で手を振り見送ってくれた。ガイド料が30元に土産物が10元。食事代は措くとしてもあまりいい客ではなかったと思うが、何にしても笑顔で終わってよかった。今度こそ肩の荷が下りた。 |
やっぱり勝負はついていた 龙脊梯田/longjititian 2005年
中国遊記 2005年
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