Short Stories
乞食船に乗って ネパールータイ 1988年
1988年の話。初めてのネパール旅行を終え、バンコクに戻ることとなった。タイの何処かのビーチで数日間過ごした後、日本へ帰るつもりだった。 カトマンズから乗ったのは、往きと同じくロイヤルネパール航空だった。当時のお金で4万円くらいだったと思う。元々バンコクで往復チケットを購入し、その復路便を使ったわけだ。この乗った飛行機が何てゆうか、当時の僕には想像を絶するあまり酷かった。酷かったのは飛行機そのものではなく、機内設備でもなかった。以前に乗ったことのあるインディアンエアラインに比べると、客席廻りなども綺麗で、乗務員の接客にも問題なかったように思った。 客である。よくもまあこれだけ集めたもんだと感心するくらい、どいつもこいつも小汚かった。ほとんどが白人だった。だぶついたシャツに、だぶついたズボンかスカートかわからないような下半身。鼻輪やら耳輪やら、首輪やら腕輪を身体一杯に貼り付けた、不気味な容姿がぎっしり詰まっていた。どこからか焦げ臭い匂いが煙と共に漂ってきた。「誰だ!ガンチャをやってるのは」と、パーサーが駆け回る。見るとちりじりになった長い髪に、ちりじりになった髭を蓄えたキリストの化け物のような男がぷかぷかと吹かしていた。 考えてみればロイヤルネパール航空の客室乗務員など、この国においてはエリートに違いない。憧れの職業に就いたはずの彼らに待ち受けていたのが、まさかガラクタ相手とは。何だか気の毒に思えてきた。 以前宝島という雑誌だか本だか忘れたが、バンコクの楽宮旅社の下の食堂(北京飯店のことか)に集う旅行者に関して、写真と共に、「乞食のようにキタナイ」という記事を見て、腹筋が捩れるほど笑ったことがある。写真に写っている日本人と思われる男達の得意げな表情が、記事と照らし合わせて更に笑いと涙を倍加させたのだが、彼らのことは知らないが、この機内の面々はある種一歩手前だった。 やがてバンコクに着いた彼らは、巨大な荷物と共にバスに乗り込み、周囲の乗客に迷惑がられながら、カオサン辺りに向かうのだろう。観光国とはいえ、タイもネパールも大変だと思った。 以上は当時の僕が、当時の僕の尺度で素直に感じたことを、率直に書いたまでです。ガンチャのイエスの化け物は分からないが、みんな普通の人だったんですね。 その後僕も鼻輪は付けなかったが、首輪や腕輪をじゃらつかせ、サンダル履きで国際線に乗るようになった。当時の僕の尺度をそのまま当てはめると、晴れてガラクタの仲間入りをしたということか。 |