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案ずるより産むが易しということ インドーパキスタン 1989年 インド西部のアムリトサルという街で、シク教の規則に従い頭髪をタオルで隠したまま黄金寺院での滞在を終えた後、列車でパキスタンに向かうこととなった。もうほとんど記憶にないが、同じ車両のコンパートメントの僕の向かいには、ドイツ人の男が一人いたことだけは憶えている。1989年の話。 列車はやがて国境に着き、そこで出国手続きとなった。特に問題は無かったように思う。そのあとはえらく待たされた。二時間かそれ以上だったような記憶がある。国境に停まった列車は、全く動く気配を見せなかった。ホームには日陰はあったものの、無言のまま何をするでもなく、僕はひたすら固まっていた。 当たり前のことだが、やがて列車は動き出した。そして時間が経つにつれ、急激に不安感が襲ってきた。列車が停まらないのだ。事前に確認した情報では、少し走ってパキスタン側での入国手続きになるとのことだったが。焦燥感のまま列車に乗り続ける。向かいのドイツ人は無表情だった。訊けばいいのだが、なぜかそれが出来ない。 流れる車窓の外には、ぐねぐねとしたウルドゥー文字が目に飛び込んできた。人の服装も明らかに違ってきた。パキスタンに入ったじゃないか。どうしよう。 キンタマが縮み上がるとはこのことだった。昔読んだ「がきデカ」という漫画で、主人公のこまわり君があまりの動揺にキンタマが胴体を遡り、ついには眉毛の上辺りまで達した場面があったが、それほどではないにしても、たぶん下腹部辺りまで来ていたように思う。列車が停まっていたあの長い待ち時間。おそらく同じホームのすぐ先には、パキスタンのイミグレーションがあったのだ。自発的に行動すればよかったのに、僕はただ呆けたように時間を潰していたのだ。悔やんでも遅い。 もう訊くしかない。向かいのドイツ人にそのことを話すと、彼は大笑いして言った。「オレもスタンプを貰ってないよ」 身体の力が抜けた。万が一のことがあっても、彼がいるから大丈夫だ。 やがて列車がラホール(パキスタン)の駅のホームに滑り込んだ。そこで入国手続きとなった。身体中の力が抜けた(1989年の5月のことです。今の状況は知りません)。 失敗談と言えるかどうかは分からないが、書きながら笑ってしまう。余計なことに神経をすり減らしていた訳だ。こんな馬鹿げた心の経験をする人は多くないと思うが、「案ずるより産むが易し」という諺が見事に当てはまった経験だった。この言葉は旅にも十分に使える。 |
乞食船に乗って ネパールータイ 1988年 − イスラエル人とフランス人 ネパール/アンナプルナ 1991年
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Lovely Life or Hell