Short Stories

 最後の砦 北京飯店 タイ/バンコク 1986年より多数

 
1986年に初めての海外旅行でタイに行って以来、バンコクに来る度に最低一回は立ち寄る。今のところ最後に行ったのが2008年の7月。午後3時過ぎという中途半端な時間のせいもあってか、客は日本人は勿論タイ人の姿もなかったが、店主のスワニーさんに訊くと、「日本人イルヨ・・・」とのことだった。今でもここを訪れる日本人がいるようだが、おそらくその数は往時に比べて飛躍的に少なくなってるんだろうなと思った。

 その86年の初めてのバンコクで泊まったのがジュライホテルだった。空港で知り合った日本人から、「あそこ行ってみませんか・・・」といった感じで言われ、もうひとりいた日本人と一緒に断る理由もなく付いて行った。チェックインしたのは24時を過ぎていた時間だったと記憶しているが、三人で夕食をとるべくぶらぶら歩いていると日本語の看板が目に付き、傍に立っていた片言の日本語を話す背の高い男に誘われるように入ったのが北京飯店だった。だから海外最初の宿泊がジュライホテルだったのは意図的なものだが、海外最初の食事が北京飯店だったのは偶然ということになる。

 初めて食べたタイの料理はスキヤキだった。「スキヤキと言っても日本のスキヤキとは違うんだが・・・」と、男が説明してくれたのを憶えている。さすがに見た目や味といったものは憶えてないが、今から思うと、「スキナーム」と呼ばれるイカや野菜などが入った春雨のスープだったと思う。後に僕はこれが大好物になり、カオカッムー(煮込んだ豚足をご飯に載せたもの)と並んで、タイに来ると必ず食べるようになった。種類は違うようだが二つとも小皿に入った赤いタレがセットになっていて、それを遠慮なくドバッとかけて、特にスキの方は甘辛さに咽びながら汗水垂らして食べるのが、タイに来た実感を味わえる堪えられない愉しみとなった。

 狭い店内の隣のテーブルには三人くらいの日本人と白人のグループがいた。そのうちの一人の日本人男性はニューヨークから来たと聞いた覚えがある。肩を露出したシャツから伸びる二の腕は太く、真っ黒に日焼けしていて屈強な感じのあった彼だが、カメラを渡され写真を撮ってくれと言われた。僕はテーブルに着いていた三人に向かってシャッターを押したが、何ていうかアウトローのように見えた彼のような人でも、こういう思い出は残しておきたいのかなと思い、可笑しみが込み上げてきた記憶がある。

 これが初めての北京飯店で憶えていることの全て。あれからもう25年が経ったわけだ。



 その後しばらくは北京飯店から遠ざかったかもしれない。タイに来た時は最低一回は行くものの連日通うといったことはなく、すぐにマレー半島を南下するかと思えばネパールやインドに行ったり、その頃急激に勢いが増してきたカオサンロードに泊まるようになったためだと思う。また北京飯店のあったヤワラー地区に泊まることはあっても、これも急激に増えてきた日本人に異質なものを感じ、あまり近づかなくなった。同じ日本人でもカオサンや駅近くのTTというゲストハウスで出会う人達の方が話が合った。

 そのまま10年近い年月が経って、僕は再び北京飯店に現れるようになった。僕が外国に来て初めて泊まった、思い出深いジュライホテルが閉鎖された頃だった。既に30の半ば近くの齢に達していた僕は、旅は重ねるもののバックパッカー末期症状というか、あまり旅に関心が持てなくなっていた。適当にビーチやタイ北部をうろつき、バンコクで似た感じの日本人と飲んだくれるようになった。

 昼間はこれも末期に近かったが冷気茶室などで過ごし、夜は北京飯店に集まって無駄話に明け暮れた。何を話したかは忘れたが、おそらく旅の話など殆どしなかったと思う。ジュライホテルが無くなったため日本人が急激に減ったなどと言われていたが、僕が泊まっていた台北大旅社には日本人の姿はあった。皆旅人という感じはしなかったが、世代に合わせてというか楽しい対話が出来たと思う。

 あの頃と逆になったわけだ。年齢差ということもあってカオサンの日本人より、ヤワラーで出会う人達と話している方が楽しく感じられるようになった。

 谷恒生さんが「バンコク楽宮ホテル残照」で書いているように、ヤワラーという所は何十年と全く変わっていない印象を受ける。コンビニが出来たり店が商売替えといったことはあるが、一番変わっていないのは輪郭というか外観で、石で出来たようにも見えるこれだけ頑丈な建物が犇くと、開発のしようがないのではと思ってしまう。。ヤワラーとは言えないが、僅かに変わったのは地下鉄の駅や高速道路の入り口が出来た駅周辺の眺めだけで、それでも近くに寄って歩いてみると、駅前の食堂が連なる辺りなど二十年以上同じような印象を受ける。ヤワラーや駅周辺で隔世の感を味わうのは、何十年経っても難しいかもしれない。

 北京飯店も僕が初めて行った1986年から全く変わっていない。ことによると料理の種類が増えたり値段が少しずつ変わったかもしれないが、値段でいえば依然として安いと思う。とっくの昔に土色に変色した手書きのメニューもそのままで、隔世の感は味わえないが昔日の面影が味わえる唯一の場所となった。僕にとってのバンコクの、「最後の砦」といったところか。



やっぱり自力で行くべきだった ネパールーインドーイエメン 1991年 - 十一年振りのシーサンバンナ 中国/磨憨/mohan 1997年 2008年

Short Stories

Lovely Life or Hell