重い荷物と無駄なプライドを背負って 龍脊棚田/longjititian/龙脊梯田 2005年 七百年の歴史があるそうだ。確かに果てしなく続く波状した大地の段差を眺めていると、これは二十年やそこらでは出来ないなと思ってしまう。まるで山々に階段を取り付けたようにも見えた。何百年もかけて、人が生きてゆくために拵えてきたわけだ。この階段の何処かに腰を降ろし、心ゆくまで景色を堪能したい。そんな旅人の思いをずたずたに引き裂いてくれるのが、拵えた創作者であるはずの瑶族/yaozuの女性達だった(冗談ですよ、これは)。 竜勝からのバスが景区の入り口に着くと、すかさず籠を背負った壮族/zhuangzuの女性達に囲まれた。彼女達は宿の客引きか、若しくは棚田に付き添う案内人だった。どうせ道も分からないことだし、適当なお姉さんについて行くことにした。ゲートを潜り抜けしばらくはなだらかな山道が続いたが、やがて急な登りとなった。肩に食い込むリュックの重みが徐々に増していった。トレッキングには慣れているつもりだったが、全量を背負っての登りは流石にきつく、堪えるしかない苦痛に感じられた。昔と違って体力が衰えたのだろうか。 そんな姿を見かねたのか、お姉さんがリュックを籠に入れろと盛んに言ってきた。が、それだけは出来ない。もちろんしてもいいのだが、それが癖になると、今まで続けてきた自分色の旅が、この先出来なくなるのではないかという思いがあった。最後の砦といったところだろうか。 そんなわけで重い荷物と無駄なプライドを背負って、視線を落としたままひたすら登り続けた。あとから計算すると30分くらいだったが。 ![]() Pingan/China 2005 僕が気づかなかっただけかもしれないが、斜面に沿って拓かれた平安/pinganの村では、車を一台も見ることがなかった。だから歩かざるえなかったのかと思ったが、村は瓦屋根の木造家屋と曲がりくねった細い土の道が何本かあるだけの、古镇/guzhenの香りが漂う村だった。お姉さんに案内された宿も木の香りが漂う民宿といっていい宿だった。木造ゆえ歩く音が気になったが、美人の女将さんに案内された部屋は四階にあり、テラスとホットシャワーに洋式トイレが完備された、僕には十分すぎるものだった。 テラスからはライステラスこそ見えなかったが、黒々とした瓦屋根や木々の緑が視界に入り、やっぱり竜勝に泊まらずここに来て正解だったと思った。事前に集めた情報が功を奏したわけだ(程陽のある三江もそうだが、この棚田のある竜勝に対しても、英文のサイトでは泊まる価値なしと切り捨てているものが少なくない。反対に当時の日本のガイドブックでは、どちらの名所も一時間かそこらしか離れていないのに、律儀に二つの街の宿を紹介していた。考え方の違いといってしまえば、それだけの話なんだが)。 さっそくシャワーを済ませ下に降りると、一階の食堂で卓を囲んでいた団体が会計を済ませたところだった。彼らは僕が到着した時、賑やかな食事の真っ最中だった。彼らのうちの何人かが僕に興味を抱いたのか話しかけてきた。背包/beibaoという語が聴き取れたので、「あなたさっきリュックを背負ってきた人でしょう」とでも言っているのだろうか。僕のリュックは45ℓで白人のそれに比べるとそれほど大きいわけではないと思うが、彼らの目には目立ったのかもしれない。 一人の男性が遠慮がちに「イングリッシュ?」と訊いてきた。英語を話す人かという意味だろうか。この場は「イエス」と答えると、それで会話が終わった。異人と遭遇したかった感がありありと見えて可笑しかった。彼らが立ち去る時、そのうちの一人の女性が「さよなら」と言った。別に驚くことではないが、このたった一言で愉快な気分にさせてくれた。街中ではつっけんどんな印象のある中国人一般だが、国を問わず行楽に来ている人というのは、ほぼ例外なく温和な気持ちになれるものかと思った。 まだ日が暮れるまでたっぷり時間があったので、さっそく村を歩いてみる。 ![]() Pingan/China 2005 詳しく調べたわけではないが僕が見た感じ、平安の村は壮族の村のように思えた。ここから入場ゲートとは違う方向に降りてゆくと、その名も古壮寨/guzhuangzhaiという、名前からして壮族の村があった。この壮族の村に降りてゆく途中に、小さな風雨橋があった。風雨橋といえばもう少し北に居住する侗族/dongzuのそれが有名だが、別に彼ら独自の建造物というわけではないようだ。もっとも小さな滝の傍にあったこの橋は、後になって見た著名な風雨橋とは比べ物にならないくらい質素なものだったが、僕個人にはこういう橋の方が好みに合っている。 この古壮寨へ向かう別れ道の手前の、少し上がったところにあるのが第一展望台(正式名称は知りません。一は合っています)。方角で言うと平安の村の西の外れといったところだろうか。平安の村自体は建物が建て込んでいて棚田の眺めは望むべくもないが、この展望台からは黒々とした家並みと棚田の広がりをそこそこ目にすることが出来た。 村には戻らず、そこから東のほうに向かって尾根沿いに延びる道を、ゆっくりと一時間ほど歩いた処にあるのが第二展望台(正式名称は知りません。二は合っています)。右手前方に棚田の広がりを目にしながら歩くここに至る道はなかなか良く、今後旅行者と話す機会があれば薦めてみようと思った。 そしてこの第二展望台で獲物を待ち受けているのが、紅い衣装を纏った瑶族の女性達だった。 ![]() Pingan/China 2005 |
生活の場が有料観光地を兼ねると/龍脊棚田と程陽橋 中国 2005年 - 壮と瑶の緩衝地帯で 龙脊梯田/longjititian 2005年
中国遊記 2005年
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