壮と瑶の緩衝地帯で 龍脊棚田/longjititian/龙脊梯田 2005年

 平安/pinganに着いた翌日。今日はここから北東方面にある大寨/dazhaiという村を目指して、この旅初めてのトレッキングをする予定だった。これも事前に調べておいた情報に基づいたもので、当たり前だが棚田の風景に浸れるとか。ここに来た目的もこのトレッキングにあるといってよかった。

 前夜と同じ下の食堂で朝食をとる(この村の民宿のほとんどが食事処を兼ねていた)。ことによると所要時間や道そのものの事情が変わっているかもしれないので、さっそく宿の女将さんに訊いてみた。女将さんは色々と説明してくれたが、いつもの馴染みの展開通り言葉が解らなかった。確実に聴き取れたのは、电话/dianhuaと明白了/mingbaileだけだった。だがここからが勝負である。

 女将さんには時間を取らせて申し訳ないと思ったが、根気よく理解しようと努めた結果分かったのは、どうやらトレッキングそのものではなく、僕がこここに戻ってくる段取りを心配しているようだった。つまりトレッキングを終えた後に、大寨の麓にある村から出ているバスでここに戻ることが出来る(実際には入場ゲートからかなり降ったところの幹線道路でバスを降ろされました)。しかしそれではゲートの外に出たことになってしまう。それでゲートを抜ける際に何かトラブルが起きたら、ここに電話をしてくれということだった。ようやく明白了。

 まずは行く途中にある第二展望台を目指す。入場料と引き換えに渡されたパンフレットによると、その先の道が大寨まで続いていた。出発する時になって、女将さんが村外れまで案内してくれた。平安の村そのものは広くはなかったが、村の外に出る道というのは意外に分かりにくいものだ。この変な日本人にも最後まで面倒見のよかった女将さんに礼を言って、細い山道を登り始めた。やっぱり荷物が少ないと楽だ。


Pingan/China 2005



 第二展望台から少し降りた所に、屋根の付いた小さな休憩所があった。僕が着いた時は数人の旅行者と、紅い衣装に黒の被り物を纏った瑶族/yaozuの女性達が5、6人いた。経験上、馴染みの展開が予想された。とりあえず僕が備え付けのベンチに腰を降ろし一服するが、女性達が上を指して「ナンバーツーナンバーツー」と姦しい。分かってますよ、言われなくても。

 僕が展望台に上がると彼女達もぞろぞろついて来た。三脚を立てて写真を撮っている間は、少しの距離を置いてこちらの様子を窺っているようだった。やがて背中に視線を感じながらの撮影に区切りをつけ、僕は草の上に腰を降ろし景色を眺め始めると、それを解禁と見たのか、さっそく女性達の営業が始まった。

 これから髪を解くから写真を撮れと言う。ひとり5元でいいから。瑶族の女性達は一生のうちほとんど髪を切らないらしく、川辺などでその長い髪を地に垂らして梳いている姿は、この地を紹介するパンフレットなどでは馴染みの絵だった。別に一人か二人でもいいと思ったが、流石にそれはちょっとということで、僕は人数分(といっても四人だが)払うことに同意した。かっては金を払って写真を撮る行為を嫌悪した自分だったが、今ではもうどうでもよくなっていた。

 しかしこれは正解だった。彼女達は髪を解きながら歌を歌いだした。瑶族の民謡か何かだろうか。これは思わぬ副産物と僕は感激して、笑いながらシャッターを切り始めた。髪を完全に解き終えると、そのまま連続動作で髪を元に戻し始めた。いささか展開が早い。やがて元の状態に戻ると同時に歌声も止んだ。この間一、二分だっただろうか。

 さあこれであなたたちとはお終いと礼を言って20元払い、僕は足早に展望台を後にした。だが、これで終わりにしてくれる彼女達ではなかった。


Zhonglu/China 2005



 もう随分と昔に読んだ本で巻の名前は忘れたが、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」によれば、かって瑶族は猺族と表記されていたようだ。この民族だけではなく、苗族/miaozuも猫族と表記されていたとか。それが新中国成立に当たって現在の表記に改められたというのを読んだ記憶があるが、流石にけものへんは不味いと考えたのだろうと思ったことを憶えている。

 ところでこの瑶族の女性達。平安の村でも見かけたが、村そのものは壮族の村のためか(これは正確ではないかもしれません)、若しくは村の秩序のためか、彼女達もあまり大っぴらに活動できないように思われた。西の外れの村の一部ともいえる第一展望台についても、ほぼ同じことが言えた。それでも村の中の外れた場所で、観光客に向かって今にも髪を解こうとする、彼女達の熱心な姿を見かけることはあったが。

 それに対してこの第二展望台というのは、何てゆうか微妙な位置にあるような気がする。ここには売店があり、僕が見た感じ店番をしていた女性は壮族だったが、平安の村からは幾分距離があり、この先にある中禄/zhongluという処はどう見ても瑶族の村だった。いわば壮と瑶の緩衝地帯といったところだろうか。しかしこう言っては何だが、彼女達の観光客に挑むアグレッシブな振る舞いを見ていると、これはやっぱり犭・・・(冗談ですよ、これは)

 いかん。前に立たれたと気づいた時はもう手遅れ。展望台を後にした僕はあっさり追い越され、彼女達にすっかり先導されてしまっていた。馴染みと同時に難しい展開になってきたなと思ったが、意外にこれが楽しいんですね。ひとり旅は。


Zhonglu/China 2005



重い荷物と無駄なプライドを背負って 龙脊梯田/longjititian 2005年 - やっぱり勝負はついていた 中国/龙脊梯田/longjititian 2005年

中国遊記 2005年

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