西街散歩 陽朔/Yangshuo/阳朔 2005年

 陽朔をようさくと読むのを初めて知った。この時の中国旅行では初めの頃と終わりの二回に渡って陽朔を訪れたが、共に何人かの日本人に出会うものの、一回目の滞在では全く気づかなかった。会話の中に陽朔という語は勿論出てきたが、出会った若い男女は皆、「ヤンシュオ」もしくは「ヤンショー」と言っていた。「ようさく」に気づいたのは中年の婦人の個人旅行者と親しくなった二回目の時で、知らなかったものの話の流れですぐ、婦人が言う「ようさく」が陽朔であることが分かった。

 旅の目的地としての陽朔という地名は、少なくとも僕が二回目に中国に行った97年頃の個人旅行者の間では知られていた。その時も皆、「ヤンシュオ」とか「ヤンショー」と普通に言っていたと思う。陽朔だけではなく昆明はクンミン、大理は発音が似てるのでダーリだったか「だいり」だったかは憶えてないが、麗江はリージャンで景洪はジンホンと普通に呼んでいた。唯一の例外は89年の10月に初めて大理に行った時にバスの中で知り合った中高年の個人旅行者で、彼の口から「こんめい」と出た時、ああそうかと逆に新鮮な響きを感じた記憶がある。

 以前からもやってたとは思うが、90年代に入ってテレビでも雲南省が取り上げられるようになった。どちらかと言えば政治や経済とは関係なく、少数民族の文化や純粋に旅先として紹介されたものが多かったように思う。僕も懐かしさと今後の旅の参考になればとワクワクしながら見たが、地名の呼び方に強烈な違和感を感じた記憶がある。とりわけ浅黒く屈強な顔立ちの司会者の口から、「うんなんしょうのこんめい」と明瞭な発音で出た時は、「いかん。これを定着させてはいかん」と真面目に思ったほどだった。

 北京や上海は全く別だが昆明という地名は、少なくとも広州や桂林ほどには日本人一般には知られていないとの思いがあった。ならば先入観がないのだから、漢字を前にして中国での呼び方と断った上で最初から中国語で発音した方が、教養と実用の面でも遥かに効率的だと思った。わざわざ仕事を増やすなよというのが本音だった※1

 なまじ漢字で書いてあるから律儀に日本語読みするのだろうが、どのみち外国の地名なのだからカタカナ発音で読んでも全く問題ないと思う。こう考えるとピンインをそのまま読んでいる白人の方が、中国の地名の呼び方に限っては、漢字の知識が仇となった日本人より遥かに先に進んでいるような気がする。朔という字を「さく」と読むのを知ったのは紛れもなく日本語の分野での教養だが、陽朔をようさくと覚えたところで旅先では全く役に立たない。強いて言えばメールやブログなどで変換する際に、少しは楽になるくらいか※2

Yangshuo/China 2005



 梧州から乗ったバスはほぼ満席だったものの、陽朔で降りたのは僕とベルギーからの男性だけだった。観光地として内外問わず有名になった陽朔だが、一般の中国人には観光以外には立ち寄る理由がない位置づけの街なのかと思った。そのためかバスが停まった所はバスターミナルではなく、幹線道路に沿った道端といった感じだった。バスを降りてすぐに客引きの女性が寄ってきたので、ここで降りる観光客が日常的にいること自体は確認できたが、寄ってきた客引きは二人だけだった。

 女性達には悪いが西街/xijieの方向だけ訊き、礼を言って歩き出した。程なく観光客で賑わう歩行者天国のような西街は見つかり、その中程にあったネットでも紹介されていた四海飯店という宿に入った。80元と安くはなかったがトイレとシャワーに鏡台までが付いた部屋は綺麗で、これで安く上がった梧州での滞在との相殺が出来ると思った。出費を記録しながら緩急取り混ぜるといったところか。

 チェックインの際に30%OFFといった感じのクーポン券を渡された。附属するレストランで使えるもので、これだけ似た感じのカフェが並ぶ西街の通りを思い、鎬を削ってるなあという感じがした。


Yangshuo/China 2005

 陽朔といえば西街というのが、この街に対して持っていた先入観だった。旅立ち前に調べたネット上に溢れる夥しい数の情報を集約すると、中国では珍しく英語が通じるとか、中国のカオサンロードといったものだった。このうち英語については分からなかったが、確かに見た目にはカオサンという感じがした。通りには英語の看板が氾濫し、国慶節の影響もあったと思うが多くの中国人に混じって、カフェで寛ぐ白人達の姿が目に付いた。

 知名度では依然として桂林の方が圧倒的に上だが、この賑わいを見ていると、この地の観光拠点はもうすっかり陽朔に取って代わられたような気がした。
 

Yangshuo/China 2005



 カオサンとの相違点を頭に入れながらの西街歩きはなかなか楽しいものだった。西街と英語の関係でいうなら、その恩恵を享受しているのは外国人旅行者だけではなかった。通りを歩き出して真っ先に目に入ったのは、「Yangshuo School」とか背中に書かれた揃いのジャージを着た中学生くらいの男女で、テキストを片手に行き交う白人達に盛んに話しかけていた。活きた英語の学習であることは言うまでもなく、これは物凄いアドバンテージだと思った。子供達の呼びかけに笑顔で応じる白人達といった図は、見ていて気持ちの良いものだった。

 さらに行くと一軒の土産物店の前に日本人の団体がいた。桂林からの観光船で来たんだなと思ったが正確なことは分からない。面白かったのは団体のうち一人の中高年の婦人が、「ここに荷物を置きましょう」と仲間に向かって言い、三十歳くらいに見えた中国人の男性添乗員が慌てふためいたシーンだった。

 婦人が言った、「ここ」は店先だった。一見治安の問題など全くなさそうな平和な西街だったが、スリや置き引きが何処にでもいるのは世界の常識中の常識。しかし婦人の常識ではなさそうで、次々と路傍に置かれた宝の山を前に右往左往する添乗員を気の毒に思いながらも、笑いが込み上げるのを我慢できなかった。婦人の提案が非なのは明らかだが、あの中国人を困惑させる日本の中高年のパワーも凄いものがあると思った。

 さらに観察は続く。別の中高年の婦人が天井から吊るされた掛け軸を指しながら、「はうまっち? いいのいいの取らなくても。はうまっち・・・」。コミュニケーションが破綻しているのは明らかだった。店員さんはどう対処したものか分からず、やっぱり右往左往。何かと評判のある日本人中高年の団体旅行だが、見方によっては世界最強の旅行者集団ではないかと思った。


Yangshuo/China 2005

 宿を出て右に真っ直ぐ歩くと、間もなく漓江に突き当たった。奇岩奇勝が連なる広々とした眺めは良く、早速河原に降りてみた。生活水の排出が入り混じったヘドロのような部分があったものの、人気のない河原の散策は気分のいいものだった。突然貧相な身なりの男が駆け寄って来て緊張したが、彼はこの地を遊覧する筏の客引きだった。申し入れは丁寧に断ったものの、無理に高い金を払って観光船に乗らなくても、手漕ぎの小船で川面を漂うだけでも十分だなと思った。

 河原を後にし上の道路に出て、川を右手に見ながら歩き続けた。観光客の姿は殆どなかったが、土産物店の軒が延々と続いている感じだった。やがて電気遊覧車?の始発点に着いた。これも一種のエコツーリズムだと思うが、陽朔の市内には観光客を乗せた電気自動車が運営されていた。詳しいことは分からなかったが、こういった点では日本より中国の方が進んでいると思った。

 そこを越えて更に歩く。既に観光客の姿は絶無だったが土産物店の軒は絶えなかった。先の事を見込んでのことだと思うが、果たしてここまで足を延ばす旅行者がいるのだろうかと思った。いたとしても僕のような買い物意欲の無い、「ただただあの角を曲がれば・・・」といった、地元の人にはクソの役にも立たない旅人だけではないかと思った。しかし土産店は続いた。

 ことによると彼らの目論見は的中するかもしれないと思ったりもした。時間的な意味での将来というスパンが、日本人と中国人の間では違うような気がした。今は全く駄目だが何れ・・・といった感じで、来るあてもない客に備えてせっせと屋台の前に品を並べる彼らの姿を見ながら、その時に自分が生きているかは大した問題ではないような気もした。一介の旅行者の僕が言うのも何だが、正しいかどうかは分からないものの、中国人と付き合う際にこういった中国人の思考回路は留保していた方がいいと思った。

 再び川に降りてみた。河原の部分はあったが、大部分は加工された遊歩道のようになっていた。言うまでもなく人影は無く、奇岩と静かな流れがあるだけだった。それなりに喧騒な陽朔で、やっと自分の場所が見つかったという感じだった。


Yangshuo/China 2005



※1 中国語の学習経験者なら似た感情を抱いた人は少なくないと思いますが、どうですかね。「わざわざ手間隙かけてワンクッション置くなよ・・・」みたいな(僕だけか?)。

※2 さらに楽を求めて辞書登録(IMEツールバーよりツール~辞書ツール~左から三番目のアイコンもしくは編集より新規登録)に踏み切りました。
 陽朔の変換は大した手間ではないのですが、響きが嫌いなので、「やんしゅお」の候補に入れました。また入力モードを簡体字に切り替えピンイン入力するのも面倒くさいので、「阳朔」も追加しました。当然こうしゅうの候補には「广州」で、ほうおうには「凤凰」などと遊んでいます。真面目な話楽だし、やってみると面白いですよ(個人サイトで愉しむ分には構わないと思いますが、中国語の学習者が安易にひらがなから簡体字に変換出来るように候補を作成することは、ピンイン入力の上達という点で薦めるものではありません)。

 この中国漢字の日本語読みについては、改めてブログの方でも書きました。興味のある方はどうぞ/http://lovelylife.or-hell.com/Entry/10/



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