郊外散歩 陽朔/Yangshuo/阳朔 2005年

 日本では依然として桂林が有名だが、この奇岩奇勝が連なる水墨画の風景は、実際にはかなり広い範囲に渡っている。梧州からの方角でいうと、その途中にある賀州という街を越えた辺りから、この山々が目に付き始めた。また後の話になるが、ベトナムとの国境に近い大新や徳天といった街や村の周辺も同じ地形に囲まれていた。


Around Yangshuo/China 2005



 陽朔に着いた二日目は、まず高田/gaotianという村まで乗り合いワゴンで行った。降りた所にあった食堂で土地の名物料理ともいえる桂林米粉/guilinmifenを頂き、露店のジュース屋台で水を買って出発。この日の目的はここから陽朔まで歩くというものだった。

 この高田という村も古村として有名だが、実は散策しようと路地に入った途端に犬に出くわし、すごすごと引き返してしまった。勿体ないことこの上ないが、89年頃に麗江の北にある大具/dajuという村で五六匹の犬に襲われた経験があり、それ以来どうも中国の犬に対する苦手意識が続いていた。だから興味はあるものの、チベットという所は未だに行けずにいる。何でもバスに向かって吠えながら走ってくるなど、向こうの犬は凄いらしい。とてもじゃないが僕には無理。


Around Yangshuo/China 2005

 陽朔と高田を結ぶ道沿いには、月亮山/yueliangshanや大榕树/darongshuといった見所があるが、何処も入らなかった。本音を言えば入場料金をケチったのだが、見所というなら沿道の風景で十分だった。何しろ空は高く晴れ渡り、今から思っても一年のうちで一番いい季節だったような気がする。10月上旬のこの時期は丁度刈り入れだったようで、藁が束ねてある刈った後の田圃が多かったが、これはこれで風情があった。その向こうには奇岩奇勝が霞んで見え、こんなにいい所と知っていたなら90年代に雲南ばかりで過ごさず、もっと早く来れば良かったと悔やまれたくらいだった。

 時折女性のガイドに先導された自転車に乗った観光客の何組かと擦れ違い、こういう時だけは歩いている気恥ずかしさを感じた。歩きには歩きの良さはあるが、綺麗に舗装された道を滑るように抜ける笑顔の彼らを見ながら、やっぱり次はこれかなと思った。

Around Yangshuo/China 2005

 適当に寄り道したり休憩しながら長閑を地で行くような景色を愉しみ、二時間くらい経っただろうか、工农桥/gongnongqiaoという橋に着いた。西街にあった観光案内所で貰ったパンフレットによると、陽朔方面を正面に見てこの橋の下を流れる川は、左から遇龙河/yulongheと金宝河/jinbaoheが合流し、それが田家河/tianjiaheと名前を変えて、右にそのまま漓江に注いでいる。橋の下の河原には観光筏が何艘か繋留されていて、ちょっとした野外レストランのようになっていた。

 しばらく橋の袂で休んでいると引っ切り無しにガイド志願の中年女性が寄ってきたが、これは断り続けた。しかし西街なら分かるが、こんな中途半端な処で網を張ったところで客を捉まえることができるのかと不思議な感じがした。

 まだ時間が早かったので、今度は川に沿って矮山/aishanという村を目指して歩き出した。


Around Yangshuo/China 2005

 擦れ違う人が殆どいないのは同じだったが、午後に入って陽射しがきつくなってきた。道も砂地に変わり、さすがに疲れが出てきた。ガイドはともかくあの野外レストランで何か食べるべきだったなと思ったが、引き返すのも何だし、地図を見ても矮山までは大した距離ではなかった。休憩の回数を増やしながら歩くしかない。

 奇岩奇勝の風景は変わらないものの、道端の様子は少し異なってきた。深緑の塊は遠目には茶畑のように見えたが、近寄ってみると蜜柑畑だった。治安の問題でもあるのか何処も鉄条網で遮られているのが印象的だった。さすがにここまで来ると、自転車に乗った観光客の姿はなかった。

 やがて着いた矮山は土の色をした小さな村だった。この地方の農村の典型かもしれない。僅かに子供が数人遊んでいただけで、農作業に出ているのか昼寝をしているのか、人の姿が殆ど見当たらなかった。木陰で休んでいると二三人の農夫が来たのですかざず陽朔の方角を尋ねると、彼らは笑いながら、「ヤンスォ」と言った。

 この先の橋を渡って真っ直ぐという陽朔の方角自体は分かっていたが、コミュニケーションも兼ねて訊いただけだった。しかしヤンスォの発音を耳にし、やっぱりh音の欠落かと思った。これはs(sh)から始まる単語の場合に顕著で、文章そのものは普通語だが、不是/bushiはブスゥで没事/meishiはメイスゥとなり、水/shuiはスイで矮山/aishanはアイサンだった。広州では気づかなかったが、梧州で何となくそうだなと思っていた疑問が一応解決したわけだ。何故そうなるかと考えるのも馬鹿な話で、ただの方言なのだろう※1


Aishan/China 2005

 橋を渡り再びアスファルトの道に出た。景色は変わらず良かったが、もう僕の頭にはビールしかなかった。早く西街に戻って四海飯店のカフェに着き・・・ツマミは何にしようか。

 再び自転車に乗った観光客と擦れ違った。ふらふらになって歩きながら、今度こそこれだと思った。


Yangshuo/China 2005



※1 この地方の全ての語で、そして全ての人の間でh音の欠落が見られるわけではありません。
 はじめこのh音の欠落は華南地方の方言かと思いましたが、後に行った湘西(湖南省西部)や重慶市東南部でもほぼ同様でした。また実際のロケ地は違うようですが、四川省の山奥が舞台となっている「小さな中国のお針子」という映画の中で、村人達の台詞にもh音の欠落が見られました。かなり広い範囲に渡っているようです。



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