中国遊記/清流とサイクリング 陽朔/Yangshuo/阳朔 2005年

 このエリアの最大の見所は何といっても桂林からの観光船に乗って水墨画の風景を堪能する漓江下り(りこうくだり)だが、実際に現地に来てみると様々なアトラクションがあることが分かった。その中の一つが漓江/lijiangの傍を流れる遇龙河/yulongheという川の周辺を巡るサイクリングと筏下り(もしくは上り)だった。この川にはいくつかの歴史ある橋が架かっていて、その中で最も歴史的価値があるように思えたのは仙桂桥/xianguiqiaoという橋で、手元のパンフレットによると広西で最も古い石造りの橋らしく、1123年に建てられたとのことだった。しかし一般にはすぐ傍にある遇龙桥/yulongqiaoの方が有名だったような気がする。

 少し旅行情報めいたことをいうと、まず自転車を借り遇龙河に沿って河の眺めや旧县/jiuxianといった古い村を味わい、遇龙桥に着いて昼食をとり、そこから自転車ごと筏に乗って河を下るというのが、最も効率的な観光ルートのように思えた※1。そして工农桥/gongnongqiaoで筏を降り、余力があれば大榕树/darongshuや月亮山yueliangshanや何とか言う鍾乳洞を見れば、漓江を措いた陽朔観光は一日でも完璧といった感じだった(勿論この逆のルートも可)。

 自分の興味や体力といったものと組み合わせて様々なオプションが取れることは言うまでもないが、こういった情報は旅立ち前にも知ることは出来るとはいえ、実感としてやはり来てみないと分からないものだなあと思った。


Around Yangshuo/China 2005



 三日目の朝、何時ものように西海飯店のカフェでコンチネンタルブレックファーストなんぞを嗜んでいると、早速ひとりの女性が話しかけてきた。西街を拠点とするガイドの多くは英語が話せるということだったが、この人は例外なのか、全く英語を話そうとしなかった。はじめ中国人と勘違いされたかと思い日本人だと言うと、それは分かっているという感じで笑顔を絶やさないまま、「イーベンイェン」と言った。そして話の真偽は分からないが、彼女が言うには昨日も「イーベンイェン」を案内したとのことだった。

 ところで一般に中国語では日本人のことをリーベンレンと言うが、そこは方言大国ということで、90年代に雲南を旅している時も、まともにリーベンレンと言われたことは殆ど無かった。正確には覚えていないが一番多かった呼び名が、「ズーベンレン」だったと思う。ここ広西ではh音どころかr音まで欠落するのかと思ったが、それは分からない。この人独自の言い方だったかもしれないが、どちらにしても僕の「中国語日本人コレクション」に新しいバージョンが加わったなと思った。

 正直言って早口で言う彼女の話の詳しい部分は分からなかったが、自分が公式なガイドであることと、一緒に自転車に乗って遇龙桥に連れて行くと言っているのは理解できた。一見観光地でよく話しかけてくる生業不明のようにも見えた人だったが、そこは管理大国中国ということで、彼女は顔写真が入った身分証明書のようなものを提示してきた。元々今日は自転車を使うつもりだったのでそれは構わない。ガイドが必要かなとは思ったが、本当に出来ないのか頑なに英語を話そうとしない彼女に却って面白みを感じ、この人のお世話になることにした。勿論ガイド料が30元と大して高くはないといった心証もあった。


Around Yangshuo/China 2005

 この日は観光に出かける前にひとつの仕事があった。国慶節の影響で広州では拒否されたTCの両替である。両替にはパスポートのコピーが必要との情報があったので、無理と思いながらも彼女に訊いてみるが、予想を裏切らずコピーなどという言葉は通じなかった。まあ行けば何とかなるだろうという感じで、二人で西街を出て歩き出した。

 程なくコピーが出来る店は見つかった。文房具店のような所で、コピーという語が复印/fuyinというのを初めて知った。日本語では外来語としてカタカナで済ませる語も、中国では徹底的に漢字で表記する。そういった語を目にするのも中国旅行の楽しさだと思う。

 両替は勿論無問題だった。そのまま二人で街のいたるところにあるレンタサイクル場で自転車を借りた。


Around Yangshuo/China 2005



 陽朔の目抜き通りといっていい蟠桃路/pantaoluを西に進んだかと思うと、ごちゃごちゃといった感じで左の細い道を通り抜け、気がつくともう奇岩が目前に迫る静かな通りに出た。この間5分くらいだったろうか。陽朔の街中でも建物や道路と混在した奇岩を見ることは出来たが、こんなに近くに緑が溢れる自然環境があったのかと思い、少しばかり驚いた。何より朝の清涼な空気の中、低い光線に照らされた山々の眺めを見た時は、これだけでもサイクリングに出た価値があったと思った。

 この時間は観光客の出勤タイムといった感じで、同じくガイドに先導された何組もの自転車グループが同じ方向に進んでいた。そんな中で異質というかこれも定番といえば定番だが、印象に残ったことはジョギングをしている白人がいたことだった。旅行者か住人かは分からなかったが、この仙境のような環境でジョギングなんて気分がいいだろうなと羨ましく感じた。陽朔が白人を惹き付ける理由は西街の存在だけではないと思った。


Yulonghe/Yangshuo/China 2005

 やがて人と砂埃で賑わう村に着いた。舗装された道は終わり、そこは河に面した船着場といった感じの場所だった。着くなりガイドの女性は辺りを見回し、次いである男性を見つけ話し込み始めた。熱心に話しながら時折こちらの方をちらちら窺っているようで、何となく嫌な予感がした。

 やがて話がついたのか彼女は僕の方に来て、「ここから先はこの人が案内してくれる」と、男を指しながら言った。何だこの展開は? さすがにバツが悪かったのか焦った調子で繰り返す彼女の説明によると、「昨日の日本人と別の場所で待ち合わせているから、今日はこれからそっちに行く」というものだった。ダブルブッキングか?

 これまで何度か現地ガイドというものを雇用した経験はあったが、細かなトラブルはあったもののこういうケースは初めてだった。しかしそれならそれで初めから言ってくれればいいのにと思ったが、ことによると彼女は説明してたかも知れず、こちらが単純に中国語を理解していなかっただけという可能性はあった。とはいえ、やはりガイドなんて雇うんじゃなかったというのが本音だった。

 さて浅黒い顔立ちは共通するものの、華奢な女性から無骨な男性に替わった僕の案内人。言葉が通じるだろうかといったことはどうでもよく、唯一の願いは無事遇龙桥まで連れて行ってくれればいいということだけだった。


Yulonghe/Yangshuo/China 2005



 この朝阳寨/chaoyangzhaiを出発すると急に道が悪くなった。でこぼこ道といってよくハンドルを握る手にも力が入った。しかし道は悪かったものの景色は抜群に良くなった。とりわけ鏡のような遇龙河の川面は、それこそ息を呑む美しさといった感じだった。このエリアは陽朔という街に近く山奥といった印象はなかったので、この澄んだ水を見た時はかなり意外な感じもした。平野部に清流というイメージが僕にはなかった。

 男もその辺りのことを理解しているらしく、停まってくれたのにはほっとした。写真を撮りたいというのもあったが、それ以上にこの人にはガイドの自覚が一応あることが確認できたわけだ。


Around Yangshuo/China 2005

 再びでこぼこ道を進みある村に入った。どうやら旧县の村のようで、男に案内され一軒の民家に入った。男が色々説明してくれるが、残念ながらこの家の由来は分からなかった。ただ見た感じ周りの家と比べてそれほど大きいという感じはしなかったので、この地方の普通の農家を見せたかっただけかもしれなかった。鍋やバケツなどが無造作に置かれた薄暗い空間に掲げられてあった、毛沢東の肖像画が印象的だった。

 さらに進む。正直言ってかなりきつくなってきた。暑さなどもあったが、悪路の自転車走行がこんなに疲れるものだと思わなかった。だから漸く遇龙桥に着いた時は、橋を見る興味より自転車を降りた安堵感の方が遥かに大きかった。

 遇龙桥はアーチ型の小さな橋だった。石造りの橋の表面全体が雑草に覆われていて、歴史を感じさせるには十分といったところだった。橋の上から眺める遇龙河の青と稲穂の黄色の組み合わせは絶景という感じで、苦労して来た甲斐があったと呆然としてしまった。男に断り暫く橋の袂の辺りをぶらついた。特に何があるというわけではなかったが、日陰に繋留されていた古びた筏の上でやっぱり呆然と橋を見つめる。疲れが急に出た感じだった。


Yulongqiao/Yangshuo/China 2005

 橋に戻ってくると男が三十歳くらいの女性と話していた。彼女は近くのレストランの主人らしく、元々ここで昼食を摂るつもりだったので、三人で彼女の店に向かった。いくつかの民家を横切り着いた彼女のレストランは、レストランというより民家そのものだった。河に面した小さな庭にいくつかのテーブルが並べられてあり、周囲が木々に囲まれた空間は静かで、ちょっとした秘密の隠れ家といった感じだった。しかしメニューを見て現実に戻った。高い。

 男がさかんに啤酒鱼/pijiuyuを薦めてきた。土地の名物料理であることは知っていたが、それは50元以上の品が大半を占めるメニューの中でもひときわ高いものだった。何となく馴染みの展開となってきた。疲れた頭を巡らせながら、さてどうしたものか。よく見ると10元以下の品もいくつかあった。一瞬これで済ませようかと思ったが、さすがに貧乏くさい。こうなったら場所もいいことだし発想を転換するかと、少し安目の魚料理と二品くらいの野菜を注文した。勿論啤酒/pijiuも忘れずに。

 まずは乾杯。そして「名前は何」「年齢は職業は」「結婚はしているのか」といった、旅先での馴染みの会話が始まった。男は勿論というか妻帯者で子供もいるとのことだった。公式なガイドではないと思ったが、もうどうでもよかったのでそれは訊かなかった。

 やがて男が、「料理が遅い。見てくる」とか言って席を立った。バックマージンでも貰いに行ったのかなとの思いが、酔った頭を掠めた。


Yulonghe/Yangshuo/China 2005

 さすが金を出しただけのことはあって料理はどれも素晴らしかった。いや金を出さなくても中国の飯は美味い。まだ入国して一週間くらいだったが、僅かに違和感があったカフェの朝食などを措いて、味で外れたことは一回もなかった。魚は公魚の天麩羅のような感じで、見た目30匹くらいが入っていたと思う。それに豆腐の炒め物と定番の炒青菜/chaoqingcai。勿論どれも皿が大きく、米饭/mifanと共に男二人で貪り食った。

 食後はしばらく休憩した。目の前の遇龙河からの風が満腹の身体に心地よく、酔いもあって今すぐにでも寝てしまいそうになった。いや今から思うと寝ても良かったかもしれない。旅の毎日で急ぐ必要なんかないんだから。

 しめて90元と一番高い食事となったが、場所も含めて一番高い満足感を得られることが出来た。


Yulonghe/Yangshuo/China 2005

 帰りはアスファルトの幹線道路を通った。風景は味気なかったがもうでこぼこ道を走る気力などなく、後は一刻も早く帰ってシャワーを浴びたかったのが本音だった。無事自転車を返し彼と握手してお別れ。途中からどうなるかと思ったが、蓋を開ければ平和な一日だったわけだ※2



※1 但し遇龙桥からは観光筏に乗れないといった旅ブログを見つけました。そんな感じはしなかったのですが、現地に行かれる場合は事前に確認することを薦めます。
 もう少しマニアックなことを言うと、まず白沙経由金宝往きのバスに乗って遇龙桥の近くで下車し観光。次いで歩いて旧县や河の眺めや田園風景などに浸った後、朝阳寨から筏に乗って以下同文(冒頭部分)。このルートは当地発行のパンフレットでも推奨されているのですが、この場合の最大のポイントは視界が逆光になることです。逆光は写真を撮る分にはいいのですが、単純に景色を愉しむといった点からはディスアドバンテージです。僕の長期旅行の経験則からいえば、少なくとも北半球での山歩き(郊外歩きも含む)の基本は、景色という点ですべからず北上(順光)がベストです。更に言えば・・・。 
 ガイドブックはもとよりネット上には情報が溢れてますので、結局は自分に合った計画でというよりほかありません。自転車と筏とバスという選択肢を前に、どれをどのように組み合わせるのが一番いいかと思いを巡らせるのも旅立ち前の愉しいひと時ですね。

※2 このサイクリングの後、原因不明の腹痛に悩まされることになりました。下痢とかではなく内蔵の筋肉痛といった感じで、現地で購入した色んな薬を試しましたが、全く効果はありませんでした。結局痛みは一週間ほどで退いたのですが、正確ではないかもしれませんが悪路でのサイクリングが原因だったように自分では思っています。やっぱり年齢には勝てないということだと思いました。
 舗装路でのサイクリングは全く問題ないのですが、もしこのルートを走ろうと思っている人は、道が相当悪いということは留保しといた方がいいと思います(但し2005年の10月の話です。現在の状況は知りません)。



郊外散歩 陽朔/Yangshuo/阳朔 2005年 - こんな簡単な単語が通じなかった 中国/桂林/guilin 2005年(中国遊記番外編)

中国遊記 2005年

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